2011-01-01から1年間の記事一覧

災害被害者が差別されるとき - 4

- 『災害被害者が差別されるとき』4一般に「ステロタイプ」がないところに差別、少なくとも集団的差別はないであろう。逆に、ステロタイプが形成される時、集団的差別はすぐ隣室まで来ている。 関東大震災においては、下町の被災を見物に行っていた同じ人た…

災害被害者が差別されるとき - 3

- 『災害被害者が差別されるとき』3私は1995年の震災に於いて「自警団」の結成が大々的に行われなかったのは、多くの好条件に支えられてのことだと考えている。むろん、私の知らないところで散発的に結成されたかもしれないが、組織的にはそのことはなかった…

災害被害者が差別されるとき - 6

- 『災害被害者が差別されるとき』6最後に、さらに根の深い問題がある。災害が生物学的スティグマを残す場合である。原子力関係である。このような生物学的危険(バイオハザード)を伴う災害は今後もあるものと予見しなければならない。 原子力関係の事故が…

災害被害者が差別されるとき - 5

- 『災害被害者が差別されるとき』5しかし、私たちはすっかり手を洗ったのであろうか。条件が変われば古い亡霊は復活しないであろうか。 歴史は完全には繰り返さない。関東大震災の修羅場は正確には再現されないであろう。しかし、例えば東アジアに動乱が起…

災害被害者が差別されるとき - 2

- 『災害被害者が差別されるとき』2しかし、今回の震災で被災者差別が事実上なかったのは、たまたま好条件が揃っていたからである。衣食足りて礼節を知るということばがあるが、まず、それである。また、人々は全国からの支援を確信し、復興を疑わなかった…

災害被害者が差別されるとき - 1

先週末に発生した大震災。その惨状を映像で見続けていると、名状しがたい何かが心の奥に溜まっていくのを感じます。悲しみや怒りなどの直情的な感情というよりは、むしろ遣り切れなさという表現が妥当かもしれません。23時をまわった頃、テレビを消し、本棚…