工作のススメ

創るセンス 工作の思考 (集英社新書)

創るセンス 工作の思考 (集英社新書)

の話。
内容としてはタイトルの通り『工作のススメ』。森博嗣がいかにして工作と出会い、そしてなぜ今も工作を続けているのかが丁寧に書かれた本です。
で、作中にいわゆるステレオタイプな対比「昔の子供=工作」「今の子供=ゲーム」が出てきます。まあ、この話題になると現実否定のための懐古主義みたいなハナシになって、読んでいてうんざりさせられることも多いのですが、森博嗣は時代/時間というものは不可逆であると一貫しています。
つまり今の時代にレトロを求めるのは「回帰」ではなくて、あくまで「選択」であるという考え方。そして「選択」できるということは幸せであると肯定する姿勢が確立されていて、きっとそのあたりが私が森博嗣を好きな理由なんだと思います。
例えば、今の時代に田舎に引っ込んで労苦の多い生活を指向する人もいますが、実際に話を訊いてみると、別に現代社会に辟易して云々というよりはその差を楽しむために不便な生活を求めているようです。そうなると不便というものも、あくまで「傍から見れば」という視点でしかなく、本人は楽しみながらやっているのですからやはりひとつのレジャーなのではないでしょうか。「レジャーとはなんだ。これこそが人間本来の生活なのだ」なんて口角泡を飛ばして反論する人もいるかもしれませんが、そういうのこそマユツバなんじゃないかなあと。
あと、時間の不可逆性というと思い出すのが各種宗教の「悪いことをすると来世で大変な事になる」という教育的脅し文句。あれを「今の私が悪いのは前世で悪いことをしたからだ」と読み違える、あるいはそれを利用する人がいることですね。気を付けましょう。

えー、話がズレました。「手を動かすこと」についても言及しています。経験による身体性の話ですね。
私がハタチかそこらの頃、ひょんなことから父親と一緒に「穴」を掘るハメになったことがあります。もちろんなんたってハタチですから、当時の父親の体力はすでに凌駕しているわけです。穴を掘る事なんか造作も無いことで「ま、オレがやっとくから」なんて意気揚々と掘り始めました。
ただ、穴といっても単純に掘るだけではなくて、モノを埋めるために30cm四方の深い穴を掘る必要があったんですね。最初はチカラにまかせてざくざくと掘り進んで行けたのですが、深くなるにつれてどうにも穴の中から土を掻き出せないような状況になってしまいました。
「その掘り方じゃダメだ。ちょっと貸してみろ」と父に言われ、しかたがなくスコップを渡したのですが、父が掘り始めるとなぜかスコップから土がこぼれ落ちることなく、穴の底からちゃんと土が出てくるんです。この出来事はけっこう衝撃的で、今でも良く覚えています。「ああ、これが経験の差っていうものなんだなあ」と。
あと、バイト先に異常に音楽に詳しい人がいまして、日頃からスゴいなあと思っていました。で、もう一人の先輩に「いやあ、xxさんはスゴいですよねえ」と話しかけたところ、その人は「あー、でもまあ所詮リスナー(プレイヤーではない)だけどな」という答えが返ってきてびっくりしたこともありました。まあ、ちょっと特権的な物言いなキライはありますが、そういう見方もあるのかと。
いずれの話も「手を動かすこと」によって得られる経験をベースにした行動や言葉で、結局のところそれにはかなわないなあというのが私の印象です。
長々と書きましたが、この本で森博嗣は工作という「選択」を「提案」して、そこから得られる「経験」の楽しさを存分に伝えていると思います。興味のある方はご一読のほど。